成豊建設株式会社

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20世紀最後の難工事「飛騨トンネル」への挑戦者たち

  • 上山晃彦
    上山晃彦Ueyama Akihiko

    昭和51年入社。現代表取締役社長。平成10年から平成14年まで、現場の所長を務める。

  • 強谷充Kyouya Mitsuru

    昭和59年入社。現執行役員。平成13年から7年間、現場の所長を務める。河合方に2年、白川方に5年在籍。

  • 田島哲也Tajima Tetsuya

    平成4年入社。平成10年から平成20年まで、10年以上飛騨トンネルの現場に従事。

  • 上野裕太Ueno Yuta

    平成15年入社。7年間、現場の事務管理を担当。白川方に2年、河合方に5年在籍。

成豊建設は道路トンネルでの延長国内第3位(2021年4月時点)を誇る、約10.7km の「飛騨トンネル」本坑掘削に携わった実績があります。この工事は、北陸圏と中部圏をつなぐ東海北陸自動車道全線開通に向けた最後の工事であり、「20 世紀最後の難工事」ともいわれました。世界最大級のTBMを使う先進的な工法が採用されたことも本工事が注目を集めた理由の一つです。籾糠山(標高1744m)の不良地山帯では、大量湧水や複雑・軟弱な地層による難工事の連続を克服。本坑は平成10年6月に着工してから、平成19年1月に貫通を迎えました。約8年半に及ぶ飛騨トンネルへの挑戦は、2つの経済圏の産業、文化、観光の発展に大いなる貢献をもたらしました。

飛騨トンネルに携わった社員が当時を振り返ります。

Episode.01現場の規模はどのぐらいでしたか?

上山
延長10,710m、断面118 ㎡もある長大トンネルです。掘削する機械には世界最大級のTBM(トンネルボーリングマシン)が採用されました。カッターヘッドだけで直径約13m、重さは約2000tもあります。現場では約1年かけてマシンが組み立てられました。組み立てのための大空間を当社が施工したんですよ。
強谷
人員は、河合方・白川方の両方を合わせると最大400 名ぐらいだったかと思います。
上野
掘削する断面が大きくて、TBMを発進させるまでに本坑だけで3カ所、導坑も3カ所ありましたね。
田島
一時期は4班の交代制にして班ごとに休みを取りながら作業を行っていました。
上野
不良地山帯のせいで工期がどんどん遅延していたのを挽回するためですよね。
強谷
大規模で、かつ難しい工事だったので、当時は働く人の労務管理に苦労しました。それに比べて、今の工事は人間の負担を減らし、機械で効率的に作業できるようになったと思います。
上山晃彦社長
上山晃彦社長
夢天生(あもう)2000
「夢天生(あもう)2000」と名付けられた世界最大級のTBM。組み立てのための大空間を当社で施行
不良地山(じやま)帯
先進坑の坑口から掘削1km付近、不良地山帯が立ちふさがり、その全長はおよそ 1700mにも達した
上山晃彦社長
上山晃彦社長

Episode.02大量湧水(山から流れ出す大量の水)があったそうですね?

田島
すさまじい湧水で、技術員にウェットスーツを着て作業してもらっていました。
上野
要はカッパじゃ間に合わないくらいの水だったんです。普通、湧水がある現場ではみんなカッパを着て作業するのですが。大雨に打たれているような感覚でした。
強谷
いや、あれは滝の中にいるような感じだったなあ。
上野
確かに。滝ですね。体も冷えて、余計に疲れました。
強谷
成豊の意地ですよね。「絶対掘らなくてはいけない」というのが、一番、現場のみんなを突き動かしていましたね。
大量湧水の様子
大量湧水の様子

Episode.03土被り1000mの土圧は工事にどのような影響を及ぼしたのでしょうか?

強谷
土圧により山の状態が悪いため補強が必要でした。飛騨での補助工法は、当時考えられていた方法すべてをやった、という感じです。あらゆる手段を使いましたね。
上野
「1日何センチでもいいから進んでいこう」というような感覚でした。
田島
測量を行っていると、足元や土平側から「ドカンドカン」と山鳴りがしたんです。自分たちが立ち向かっている自然の強大さを改めて思い知らされましたよ。
盤ぶくれの様子
写真は盤ぶくれの様子。坑内はすさまじい土圧により支保工の変形や破壊なども見られた
田島哲也

Episode.04現場の雰囲気は?

強谷
工事は大変でしたが、そこで現場がピリピリしてしまうのは良くない。積極的にみんなに声掛けをするなど、少しでも働きやすい雰囲気づくりに努めました。十分にコミュニケーションをとって良い現場にできたのではないかと自負しています。
田島
施工管理をする私たちにとっても、良い現場の雰囲気づくりを心掛けるのは大切なことですよね。

Episode.05貫通を迎えたときの様子を教えてください。

上野
あの時、所長の涙を見て、実感が湧きました。僕自身は、感動したのはもちろん、「あぁよかった」とほっとする思いが強かったのを覚えています。
強谷
やっぱり、貫通した瞬間にはうるっときましたね。
田島
ワァーっとみんなが解放される瞬間でした。その時の現場は、みんなが万歳したり握手したりしていましたよ。
上山
実際に穴が開いた時には現場を離れていましたが、貫通式に参加して、トンネルの端から端まで約11km を歩いたんです。この時、足にマメができたのは良い思い出です。こんなにも長いトンネルを掘ったんだな、やり遂げたんだなと身をもって感じ、嬉しさがこみ上げましたね。
(左) 強谷充 (右) 上野裕太

東海北陸自動車道 飛騨トンネル工事

所在地:岐阜県大野郡白川村大字萩野
発注者:日本道路公団
元請:大成建設・西松建設・佐藤工業 共同企業体
工事概要:延長10,710m、断面118㎡
工期:1998年06月 ~ 2008年06月